エベレスト登頂が僕に投げかけるもの

2023年5月18日午前8時、僕はエベレスト山頂に立った。気温マイナス30度、風速20m、快晴。薄い空気に朦朧としながら、全方位遮るものの無い眺望を胸に刻んだ。冒険家の故植村直己氏が日本人初登頂(僕が生まれた1970年)を成し遂げてから53年、日本人としては210人目の登頂者となるらしい。世界最高峰ということもあり、多くの人が興味を持ってくれる。中でも多く聴かれる質問(FAQ)があり、ここで紹介したい。

FAQ① 「どうだった?」

人によって興味のポイントは様々。大変だった?景色は?登頂した時の気分は?死にかけた?トイレは?食事は?費用は?等々。総じて一言で語るのは難しい。

僕はここまで、砂漠やジャングル、サバンナなどの僻地を走るような冒険的レースを長年続けてきた。また、7000m級の登山も経験してきた。しかし、それらのレースや遠征と比較して、エベレスト登頂は明らかに周囲の反応が違った。世界最高峰というアイコン、困難さや過酷さのイメージが際立っているのだろう。過去最多の死者数を出し、過去最悪の年と言われたこのシーズン。自身も、登頂してベースキャンプに辿り着くまでは「死ぬかもしれない」という緊張感を常に感じていた。

登頂の難易度、危険度は高いが、実は難しさの本質はそこではない。体力の強化や技術の研鑽はもちろんのこと、日々のコンディショニング、モチベーションの維持に加え、経済面、家族の理解、仕事のコントロールなど。社会人として責任ある立場でのチャレンジは、乗り越えるべき壁が多々ある。だからこそ挑戦する意義があるのだが、質問に対して敢えて一言で答えるなら、「登れて良かった」。

FAQ② 「人生観、変わった?」

期待外れかもしれないが、実のところあまり変わらない。僕は「登山家」でも「冒険家」でもなく、企業の人材育成や組織変革などを生業としている。特にリーダーシップやチームワークがテーマで、企業人の仕事(または人生)におけるチャレンジを後方支援するのが使命だ。その仕事を通じて、目標設定や緻密な準備、一歩踏み出すこと、諦めないことの重要性をたくさん感じてきた。それが自身の信念にもなり、また自ら実践することが他者への説得力にもなると考えている。エベレストはそのような価値観の延長にあるので、登頂したことで人生観は変わらないのだ。

一方、生死の境を実際に目にすることで、“死生観”は強化されたかもしれない。後述するが、もともと「人はいつ死ぬか分からない」ということは常に意識していた。遠征中も多くの死が間近にあった。30年前にヒマラヤで遭難した高校時代のチームメイトにも思いを馳せ、「日々、その場、その時を大切にする」という想いが増した。

FAQ③ 「なぜ登るの?」

そこに山があるから、とか、山が好きだからという単純な話ではない。仕事上のブランディングという側面もあるが、あえて命を懸けてまでやる意味は、やはり価値観の体現ではないかと思う。加えて、失われた機会への執着でもあるようだ。

高2の春、父が他界した。過労死だった。モーレツな仕事人間で企業エリートだった父の死は、僕の価値観を大きく変えることになった。ロールモデルを失い制約がなくなったことで、何かのタガが外れた。母は仕事に忙しく、自分に厳しく言う人はいなくなった。その後の高校生活は自由を謳歌する半面、緩さの極みだったと今では思う。体育祭などの行事に燃えた記憶はありありと蘇るが、教室にいた記憶はあまりない。

所属していたバスケ部では朝練も筋トレもせず、模範的な選手からは程遠かった。それでも試合には出られていたので、努力してそれ以上を目指す向上心はなかった。当時、将来の夢や目標を聞かれても何も答えられなかっただろう。ただその場を、刹那的、悦楽的に生きていた。

父の死をきっかけに芽生えた「人はいつ死ぬか分からないから、今を大切にする」という感覚は、振り返れば「努力しない」ことの正当化だった。後年、高校の友人に「才能を無駄にしていたよね」と言われ、胸に刺さった。そして今、チャレンジを通じて高校時代からの「もっとできたはず」を取り戻そうとしているのかもしれない。

FAQ④ 「次は何?」

エベレストに限らず、遠征から戻るといつも聞かれる。チャレンジとは終わりのないものなのだろうか。もちろん、次を期待されることはモチベーションになるのでありがたい。また、チャレンジを続けることが、誰かを勇気づけたり元気づけたりするのであれば嬉しい。面白がって話のネタにしてくれるだけでも本望だ。

当面の目標はセブンサミッツ(世界7大陸最高峰登頂)。次に目指すのは北米大陸最高峰デナリ(旧マッキンリー:植村直己さんが眠る山)。この文章が記事になる頃には恐らく登頂を果たしているだろう。その次は?さらにその先は?アイデアは尽きない。人生100年時代。僕には150年必要かもしれない。

生田洋介氏  1989(H1)年卒業

株式会社インスパイアマン 代表/パフォーマンスコンサルタント

法政大学卒業後、広告代理店勤務、CM制作のプロダクションマネジャー、フィットネス・アドバイザーを経て、現在は企業の人材育成に携わる傍ら、数々の冒険的レースや遠征などの体験をベースにした講演活動、日経BP主催のセミナー「課長塾🄬」の講師も務める。著書『7000人のプレイングマネジャーを変えた8つの法則』(KADOKAWA)、『指導しなくても部下が伸びる!』(日経BP)

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